リュウジアカデミー

エッセイ

新年によせて

みなさま、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さてさて、占星術などにかかわっているものは毎年、この時期、大忙しである。このギョーカイでは、「年運」というのだけれど、1年ごとの星座の運勢などを書かせてただいたり、お話しさせていただく機会に恵まれる。

毎月の連載(これをギョーカイでは「月運」などと申します)が一番一般的だけれど、最近ではインターネットの普及などでさらに更新頻度の高い「週運」「日運」などを準備しなければならないことも多い。この調子でいくと、「時運」などというものも出てくるかもしれないと、原稿のボリュームアップを恐れているのはぼく一人だけではないかもしれない。


ところで、年運、月運、日運といったものをどのようにして出していけるのか、ということを不思議に思われるかもしれない。

星占いにおける判断の仕方をここでご紹介してみよう。それはただ「楽屋ネタ」ということだけではなく、占星術において「時間」というものがどのように考えていられるかを示すものでもあるからだ。


★近代と占星術(古代)における時間の捉え方の区別

まず、近代的な時間論と占星術的な時間論の区別からみていこう。近代の時間は計量化され、均質化した時間である。ニュートンによって定式化されたような、フラットで均質な時間であるといってもいい。誰にとっても、どんなときであっても、客観的に1時間は1時間。

しかし、占星術的な、あるいは古代的な時間はそうではなかった。「ハレ」と「ケ」とか、祝祭時と平時という区別があるように、時間には濃淡があり、独自のリズムがある。

時の移り変わりのなかに「意味」を見出す占星術こそ、意味をはらんだ時間を測定する仕事をしてきたともいえるのだ。そもそも、「ホロスコープ」という言葉がホーラー(地平線、ないし時間。ホライズンも同じ語源)のスコープ(監視、観測、見張り)という意味であったことを思い起こしたい。では、その意味ある時間の移ろいはどのようにイメージされ、観測されているのか。


★占星術における時間の捉え方

占星術の考え方としては大きく2つある。1つは「流れ」の占星術だ。これはわかりやすい。太陽系をめぐる星たちの、周期的な動きを総合的にみていくもの。時間はまるで川のように流れていて、そのなかのたくさんの潮流のから意味合いをみていこうとするものである。

たとえば、木星はおよそ1年で1つの星座を通過していく。とはいえそれは人工の暦の1年とは違う。今年は6月6日に双子座へと移動する。こうした動きをおいかけていって、流れを見ていくというものだ。トランジットといわれる。この占星術がイメージする時間は、先程もいったように川のようなもので、基本的にはそこには断絶はない。流れが急だったり速かったり、景色が変わっていくこともあるけれど、そこに時間の国境のようなものはない。

一方で「瞬間」の占星術もある。モメントの占星術ともいえる。代表的なところでは、太陽が春分に入る瞬間が新年だと考える。個人の人生を示すのが「生年月日」のときの星だとするように、新年の始まりのときの星の配置が、その事象の性質そのものを表現しているという考え。

それは「始まり」のとき、ないし、占星術的に重要なモメントの星まわりのなかに一定期間の出来事の意味が凝縮され、ホログラム的に圧縮されているという見方につながる。


★占星術的にみるひとくくりの時間

この考えは一見不思議だが、川の流れのような連続したものではなく、一定の情報が「パケット」でひとくくりになって送信されている今の情報ネットワークを考えればイメージしやすいのではないだろうか。

このパケット型の時間論は、しかし実は古い伝統をもつ。日本においては新年には「歳神」さまがやってきて古い神と交代するという考えがあった。これも一種のパケット型の意味の交換である。

また、エリアーデが名著『聖と俗』で描いたように、宗教的人間にとっての時間と空間は、定期的に「更新」されていくものであったのだ。これも時空がひとつのパックになっていて、更新されていくというふうに考えてもいいだろう。

連続する時間と断続しつつそれが次々に送られていく時間。この双方が占星術のなかにはある。


★新たな時の始まり

新年は時が「更新」されるときだ。占星術マニアのためにいうと、日本ではあまり知られていないけれど、1月1日のニューイヤー・チャートを使うという技法も近代占星術の祖であるチャールズ・カーターによって提唱されている。

新年はただカレンダーや手帳が新しくなるだけの時ではない。歳神が交代し、時空のパケットが新たになり、そして星の時間の国境を超える時でもある。

気持ちを新たに、すがすがしくこの年を迎えていきたい。